退蔵院方丈襖絵プロジェクト Taizo-in Hojo Fusuma-e Painting Project

【今思うこと/前編】

2017年4月。

穏やかな春の陽に花がほころぶこの季節。

絵師として退蔵院の門をくぐった日から、丁度7年目を迎えました。

 

このブログで「襖絵完成の目標について」と題し、投稿したのは2014年の秋のこと。

その時に言葉にした、『2016年秋・襖絵完成の目標』。

 

その言葉がしめす時間は過ぎた今。

当時に想い描いていた状況ではありませんが、でももっと広い景色の中で私は立っています。

 

今日はこの場をお借りして、前の投稿から今までの経験と現状をお話したいと思います。

(時系列で前編・後編に分けて投稿します。)ご一読いただけますと嬉しいです。

 

=【今思うこと/前編】 =

 

ここ2・3年の間は、私にとって修行のような日々でした。“目標を定め、それ以外の事を自主的に制約し、徹底して突き詰めようともがいた期間”、といった表現の方が正しいかもしれません。

 

2013年の秋に壽聖院(通常非公開)の襖絵を描きあげてから、私の中で新たな課題・通るべきこと・必要なことが見えてきました。

 

表現したいことに対する、技術的問題。

構想を考える時、自分の感情だけではなく一度捉える必要のある視点や関わり。

 

仏教や禅について学びながら、実践しながら、水墨をひとり稽古し黙々と向き合う日々。

ひとつひとつのことが時間を要することだった。

 

早朝、お坊さんたちと一緒に作務をして自然の景色や人の行から気づきをえて、元気いっぱいの朝ご飯をいただく。退蔵院の番犬ひなちゃんとお散歩がてら境内を一周して、部屋へ戻って静かに坐る。そして気づきをかき留め、それから二度の食事をとる以外の時間は、絵と読書と構想と実践にあけくれた。夜、布団にぱたりと眠るまで。

 

それでも思っていた様には進まずに構想も決まらずにいた。

不安や焦りが滲みそうになる時には、「とにかく描いて進むしかない」と気を奮い立たせ、

筆を持ち続けた。

 

そして季節は巡ってゆく。

*

1年…2年…と走っているうちに、だんだんと自分で自分を励ます声がまるで鞭で叩くように頭の中で響きわたるようになりました。描くんだ!頑張れ!違う、そうじゃない!いったい何が描きたいんだ…!立ち止まるな!…。

 

胸いっぱいに励んで磨いて進もうとしていたことが、きっといつの間にか自分を攻めて削って、

がんじがらめにするようになっていたのだと思います。

 

そして2016年の夏。

緑色のもみじが心地よく日陰を誘い、蓮のつぼみがぷっくりと膨らみ始めた頃。

私は、筆をとることができなくなりました。

スコーーンッ…と、穴に落ちた感覚。

 

心の中にある創造の泉の水が、一滴残らず枯れ果ててしまったのに気がつきました。

まるでひび割れた生きものひとついない荒れ地のように。

 

今はもう、なにも描けない。生みだせない。

自分で枯らしてしまった。

どうしよう。

どうしよう…。

 

初めて起きたことでした。

 

ーーーーーーーー

▽画像は2016年の春に描いた練習画(ロール紙の大きさ:高さ約1.8m×長さ約15m)

以下はその拡大写真です。

 

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