【今思うこと/後編】
2016年の夏。
筆をとることができなくなった私は、ある決断をしました。
お寺にいること、筆を持つことを一旦停止する。
完全に離れる。
まずは自分をすくうため。守るため。
そして託されたこの勤めを全うするために。
画家であれば、なにがなんでも筆を持つことにこだわって、苦辛の経験や葛藤や闇をありのままに描き出すことを考えたかも知れません。
でも、絵師として立った時。
描きたいものはそういうことではないとハッキリと感じました。
人が手を合わせる場所に、そうした感情を持ち込みたくない。絶対にやりたくない。
絵はこころの景色だから。
描きたいと想う世界と描き手のこころがピタリとひとつになってこそ、本当に表現したいことが
筆先から溢れてくる。
もしも今無理矢理に筆を持てば、描きたい世界に気持ちも身体も追いつかず、枯れ果てた絵になるのが分かった。それは、本来描きたいと願っている世界とは全くかけ離れたものだ。
このままじゃだめだ。
必ずいつかまた、こころの底から描きたいと思える日がやってくる。溢れる日が来る。
今はそれを信じて離れよう。
進むために。
そう思いました。
いつ戻れるかは分からぬまま一旦離れることを選んだ私を、承諾して支え続けてくださった退蔵院の皆様のお心の深さに感謝しています。
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季節は夏から秋へ、秋から冬へとうつろいました。
その間わたしは心と身体の呼ぶ声に耳を傾けて、多くの人と再会し、出会い、沢山泣いて沢山笑って、身体を動かして休めて、自然に触れて…。
色んなことがありました。色んな感情がわきました。
何をどうと言葉にまとめきれないけれど、私はこの時とても大切な経験をして、どうしても必要な時間をいただいたのだと今は思います。
もう一度自分を見直す機会であり、立て直す機会だった。
枯れた地に少しずつ水が注がれて、土は歓び息を吹き返していくのを感じました。
そして昨年末。
小さなスケッチブックにペンが動き始めました。少しずつ、すこしずつ。
本当に嬉しかった。
絵が描けない時期を過ごして改めて気づいた、私を支えて続けてくれていたもの。
大切に守らなければならないもの。
退蔵院の仕事に戻れるようになったのは今年の2月に入ってから。最近のことです。
試行錯誤しながら構想を練り上げています。
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そうした状況にあったたため、このブログも言葉に整理できるまで書けずにいました。
度々覗いて下さった方、気にかけて下さった方、ご報告が遅れてしまい申し訳ありません。
2年前の目標通りには運びませんでしたが、それだけ多くの経験を重ねてきたこと、深い繋がりを得たこと、絵師として挑んできた日々を誇りに思います。
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7年目の春。
2011年、24歳で初めて退蔵院の門をくぐった私には想像できなかった道のりです。
いつ全てが形になるのかはまだ推測できません。
ただ襖絵完成というひとつの目的地に向かって精進してゆきます。
引き続き、見守っていただけますと幸いです。
末筆ながら、長文のご報告を最後まで読んでくださり誠にありがとうございます。
2017年4月
絵師・村林由貴
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▽下の画像は、昨年末に久しぶりに絵を描き始められた時のもの。
(A5サイズのスケッチブックから抜粋)