退蔵院方丈襖絵プロジェクト Taizo-in Hojo Fusuma-e Painting Project

【2014年の歩み:③:6月と7月】

 

投稿:絵師・村林由貴

 

6月と7月。

これまでの経験や先人たちの残した書籍、様々な角度から思想や学びを膨らませては、構想やスケッチに励んでいました。もう春のような迷いや切迫感からは離れられていました。それは、「逃げずに受け入れる。進む。信じて貫く。」そう覚悟しようと、5月の修行で思えたからかも知れません。

7月17日。
今年は1月の一番寒い時期の修行を体験し、今度は7月の一番暑い時期の修行へと向かいました。
読んでくださっている皆さまに誤解がないように…、お伝えさせていただくと、私は「修行する」ことを目的に参加させていただいている訳ではありません。

参加する理由は初心から変わることなく、
「全ては禅の世界を描く為に、自分で触れて体験してみなければ描け得ないことや、老師さまにお尋ねするべきこと、必要な環境がそこにあってのこと」なのです。

7月の一週間は梅雨の名残で蒸し暑く、時には雨も降りしきり、最後の二日間は変わって夏晴れの猛暑でした。

夜中3時過ぎの起床。未だ暗い曇り空に隠れる月。一日の始まりを告げる鈴や鐘の音。
堂内に響くお経の声と、明け方一番に鳴きだす蝉の声。
坐禅しながら滴る汗。蚊の近づく音。明るくなっていく空と差し込む光。
ボーボーに生えた雑草を皆で引き続け、全身の毛穴から汗が吹き出る。
その後に吹くかすかな風が、身体に涼しさを届けてくれる気持ちのよさ。

そんなことを感じながら、ひとつひとつの行いに心と身体を尽くしてゆく。

私はある坐禅のひと呼吸に、とっても幸せを感じました。
身体の姿勢や体内の管が一筋にピタっときて、心も身体もその呼吸に集中できる状態が整ったかのような瞬間だったと思います。
でもそれも束の間、一度だけでした。
同じ身体で自分自身なのに、その筋は微妙なズレでその後も見つかることはありませんでした。

修行を終えたあと、長年ご修行なさっている雲水さんとお話させていただくと、以下の様に仰ってくださいました。

「坐禅は、毎回フレッシュな気持ちでやった方がいいです。自分の経験上、一度いい呼吸ができても、それを追い求めると、できないことにイライラしてしまったりしてしまいます。でも本当は自分が気づかないうちに、身体の状態も疲れも常に変化していますから。」

追い求めたり、執着することはない。今そのままに在る自分で、今を味わう。

それは坐禅に限らず、色んな面で活きてくる言葉とお教えでした。

あとに加えて、「自分の経験上なので、村林さんに当てはまるかどうか。えらそうに、すみません。。」と、恭謙に述べて下さるお姿にも、頭が下がる想いでした。

暑く晴れ上がった夏空の下、沢山のことを吸収して私は京都へと戻って行きました。

 

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