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【2014年の歩み:④:これから】
投稿:絵師・村林由貴
ここに書いたことは、これまでのほんの一説に過ぎません。
書ききれない沢山の方々の教えに恵まれて、私は今少しずつ歩ませていただいています。
これからの課題としては、より深く水墨画の世界に入るべくその法を学び、そこから改めて自分を実らせることにあります。
結局その必要性が、春から感じていた大きな壁の存在だったのだと気づきました。
今の私は、“線は葉を成し、葉は生きるように…”と、水墨表現の基礎である蘭の葉から始めていますが、恥ずかしくも未だ一度も満足な一筆で描けたことがありません。。
自分は線が得意な人間だと思っていましたが、全然そんなことありませんでした。
線で何かを形つくり描くのではなく、線それ自身が何かになる様にと拘り、これほどにお手本との落差を痛感したのも人生で初めての様に思います。果てしなく長い道のりです。
けれどこれまでにも、どんなに道が長く感じた時も思い出す一言がありました。
退蔵院に来た当初、作務もやったこともなく、必死にやっても遅くて鈍くて焦っていた時のこと。
半年間、退蔵院で一緒に過ごさせていただいた、今は山梨県・恵林寺にいらっしゃる古川周賢老師さまに
「ゆきちゃん、大丈夫。遅くても丁寧にやったらいい。早さは後から身に付くけれど、丁寧さは一度許すと後から身に付きにくいものだからね。」
と声をかけていただいて、救われる想いでした。
きっと蘭の葉も、丁寧に描いて描いて描いてこそ、その先にひらひら舞う自由さと軽快さが待ってると信じて、今日も明日も頑張っていくしかないなと思っています。
雲水さんがおっしゃって下さった様に、ひと呼吸ひと呼吸、一筆一筆新鮮な気持ちを心得て。
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【おわりに】
言葉の表現が至らない上に、とても長文の投稿となり申し訳ありません。
そんな中でも最後までお付き合いくださいました皆様、本当にありがとうございます。
器用なタイプではないので(泣)、きっとこれからも更新がまだらになってしまうことと思いますが、これからも温かく見守っていただけましたら幸甚に存じます。
今日はひとつの区切りと思い、この場を借りて8ヶ月間の経過をお話させていただきました。
いつも、傍から遠くから応援してくださっている方々に、心より感謝申し上げます。
引き続きプロジェクト共々、よろしくお願い致します。
退蔵院 絵師・村林由貴
【2014年の歩み:③:6月と7月】
投稿:絵師・村林由貴
6月と7月。
これまでの経験や先人たちの残した書籍、様々な角度から思想や学びを膨らませては、構想やスケッチに励んでいました。もう春のような迷いや切迫感からは離れられていました。それは、「逃げずに受け入れる。進む。信じて貫く。」そう覚悟しようと、5月の修行で思えたからかも知れません。
7月17日。
今年は1月の一番寒い時期の修行を体験し、今度は7月の一番暑い時期の修行へと向かいました。
読んでくださっている皆さまに誤解がないように…、お伝えさせていただくと、私は「修行する」ことを目的に参加させていただいている訳ではありません。
参加する理由は初心から変わることなく、
「全ては禅の世界を描く為に、自分で触れて体験してみなければ描け得ないことや、老師さまにお尋ねするべきこと、必要な環境がそこにあってのこと」なのです。
7月の一週間は梅雨の名残で蒸し暑く、時には雨も降りしきり、最後の二日間は変わって夏晴れの猛暑でした。
夜中3時過ぎの起床。未だ暗い曇り空に隠れる月。一日の始まりを告げる鈴や鐘の音。
堂内に響くお経の声と、明け方一番に鳴きだす蝉の声。
坐禅しながら滴る汗。蚊の近づく音。明るくなっていく空と差し込む光。
ボーボーに生えた雑草を皆で引き続け、全身の毛穴から汗が吹き出る。
その後に吹くかすかな風が、身体に涼しさを届けてくれる気持ちのよさ。
そんなことを感じながら、ひとつひとつの行いに心と身体を尽くしてゆく。
私はある坐禅のひと呼吸に、とっても幸せを感じました。
身体の姿勢や体内の管が一筋にピタっときて、心も身体もその呼吸に集中できる状態が整ったかのような瞬間だったと思います。
でもそれも束の間、一度だけでした。
同じ身体で自分自身なのに、その筋は微妙なズレでその後も見つかることはありませんでした。
修行を終えたあと、長年ご修行なさっている雲水さんとお話させていただくと、以下の様に仰ってくださいました。
「坐禅は、毎回フレッシュな気持ちでやった方がいいです。自分の経験上、一度いい呼吸ができても、それを追い求めると、できないことにイライラしてしまったりしてしまいます。でも本当は自分が気づかないうちに、身体の状態も疲れも常に変化していますから。」
追い求めたり、執着することはない。今そのままに在る自分で、今を味わう。
それは坐禅に限らず、色んな面で活きてくる言葉とお教えでした。
あとに加えて、「自分の経験上なので、村林さんに当てはまるかどうか。えらそうに、すみません。。」と、恭謙に述べて下さるお姿にも、頭が下がる想いでした。
暑く晴れ上がった夏空の下、沢山のことを吸収して私は京都へと戻って行きました。
【2014年の歩み:②:5月後半の2週間】
投稿:絵師・村林由貴
5月17日。
私はまだ画法の進め方も見出せぬままに、また一週間坐禅修行に静岡へと向かいました。
そこには、4月にお寺に入られたばかりの新頭さんの姿があり、期間中には何度も先輩方に怒られながら、必死に走り回り、お経を力いっぱいに詠み、坐禅と坐禅の合間には痛くしびれる足をほぐして、懸命に取り組む姿がありました。
ご指導なさっておられた先輩方のお一人に、3年前私が初めて修行に来た当時に新頭さんで、怒られる姿も度々に見た雲水さんがいらっしゃいます。今回の指導中の厳しさの反面、一週間を終えて他の参加者や私が帰る時には、穏やかに優しく、そして深々とご挨拶くださる姿とその一礼に、いかに修行に努めておられるかを感じました。3年前とは、顔つきも風格も別の方のようでした。
帰る前に、典座さん(お食事を担当する雲水さん)へご挨拶をしに伺った時のこと。
「老師さまの背中を見て、毎日ほんとうに、うっとりしてしまいます。」
典座さんが、柔らかな口調でそうおっしゃいました。
その一言には、老子さまがいかに素晴らしい方なのかも、雲水さんがいかに老子さまに敬仰なさってらっしゃるかも、4年間毎日そう感じてご修行されてきている雲水さんの尊さも…、全てが含まれているように感じました。
私は改めて、今の自分に繋いでくださった様々の仏縁に、幸福が身体中に染み渡るのを感じずにはいられませんでした。
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一週間の修行を終えた私は、静岡から東京に向かいました。
そして翌日、東京から船で片道約25時間かけて小笠原諸島の父島へ到着し、
更に船で2時間半かけて母島へと向かいました。
こちらも、退蔵院さんを通じてご縁があってのことでした。
島にはたった3泊といった短い滞在期間でしたが、そこで出会った島の方々のぬくもりや自然の姿、そのひと時ひと時が鮮明に記憶してます。
失われそうになっている母島固有種の植物や生物。
それらを必死に守ろうと努める島の方々。
自然と人との関係とは互いに、ほんの少しの行いやバランスの変化によって、守り合うことも時に危機に陥れてしまうこともあると、改めて教わりました。
一週間に一度しか母島に到着しない貨物船。
届くものの種類も数も自然と限られてきます。
「ひとつのアイスを友達と分け合って、おいしいんです。」
「パンも貴重でね。一人で買い占めちゃぁ、ねぇ…。(笑)」
「母島には床屋さんがないんですよ。△△先生、だれに切ってもらった?」
「僕は○○さんです」「あ、僕も!(笑)。あの人上手だよね~。」
笑いながらそんな風にお話してくださる島の方々に、私の心はぽかぽかになりました。
二日目には母島にある唯一の中学校、全学年合わせて9名の生徒さんたちと、触れ合う機会をいただきました。真っ直ぐな瞳で私の話を聞いてくれる姿も、「今度はわたしたちが…」と、生徒さんたち自らが自分の ” 大切なもの ” について一人ずつお話してくれたのも、フラダンスやウクレレを贈ってくれたのも、感極まる思いでした。
彼女たちにこんなにも懸命に、心から言葉や身体を通して表現を届けてもらって…。私が教わることばかりでした。
またいつか会えた時には、かっこいい姉さんになれてるように頑張らなきゃと思いました。
真っ青な空と海。緑豊かに輝く母島の風景。
…と思い描いていましたが、滞在期間は梅雨の時期で大体が霧と曇り空で…。
母島の山を登っても登っても、絶景スポットのはずの眺めはどこも殆ど真っ白でした。
けれどその幽玄たる景色や、山の木々が水滴るように潤う姿は水墨画の情景を想起させました。
その様にして5月中旬から2週間は、一旦京都で絵を描くことから離れ、
静岡と母島で過ごさせていただいた日々が、私に多くの栄養と力を与えてくださったのでした。
【2014年の歩み:①:1月から5月前半までのこと】
投稿:絵師・村林由貴
2014年1月、私には大きな目標がありました。
毎年、6月や10月などに経験させていただいてきた、静岡県・龍澤寺さんでの一週間の坐禅修行。
その坐禅修行の中でも、一年のうちで最も厳しいものが1月末に行われる修行とされています。
寒さ、冷たさが襲うのは勿論、睡眠時間も削りに削って坐禅三昧の修行です。
それまで、この修行に参加するのは「無謀」と思っていましたが、壽聖院の襖絵制作を終えてから、
「退蔵院制作に向かう前に、必ず参加する」と決心している自分がどこかにいました。
そのままでは身体が持たないことを理解していたので、ランニングをしたり、夕方まで窓を開け放して寒さに慣れる練習をしたりと、備えてゆきました。
冬のお寺は静かに、変わらず、粛々と迎えてくださいました。
修行中、
裸足で過ごすなかで、本堂の障子がほんの少し開いていて、一筋の光でぬくまった畳をたった一歩、一瞬踏むことがどれだけ幸せだったでしょう。
寝る時間は減っていくけれど、一度も解けることがなかった緊張は、私の意識や神経の働きをより高めていくのを感じました。
冬の寒さにしんしんと、身体の外側さきっぽから冷たくなろうとする。でも一方で、坐禅が持たらす熱が身体に巡ろうとするのを感じたり。作務の箒の音。身体を存分に動かせる心地よさ。咲き始めた一輪の白い梅の花。
お粥やおうどんから立ち上る大きなゆげに、緩んだ鼻水がタラタラとたれたりもしました。
その一週間にあった気づきや体験の仔細は今ここに書き尽くせないのですが、
修行を終え京都に戻った時に、和尚さんと奥さんが真っ先に
「ユキちゃんおかえり!ええ~顔しとる!」「ほんま、ピカピカしとるえ!」と、
ほっとする京都弁と優しい笑顔で迎えてくださったこと、
そのあとご飯も食べぬまま11時間眠りに落ちたことが、きっとこの経験の中にあった凄みや色彩を伝えるひとつの手立てとなるのではないかと思います。
ーー
その後、2月~5月中頃まで、ちょっとした渦中にありました。
大きな壁が目前に現れて、その下でぐるぐる彷徨っているかのようでした。
これから向かおうとしている表現が、今までの表現方法では満足できない、描き表せない自分に気づいてしまったのです。
描いても描いても、納得がいかない。
違うのは分かるけれど、どうすれば近づけるのか、何がどう違っているのかも分からない。
分からないなら、自然に尋ねようと思った。
歩いて、描いて、感じて、近づこうと試みました。
この時期から、持ち歩くスケッチブックをポケットに入る大きさに変えました。
そんな毎日の働きは本当に地味というか、切ないような気持ちもあって、ささやかで…でも大切だと理解していて。
けれど何枚スケッチを重ねても、漠然とした理想には求めても追いつけそうもなくて。そんな風に感じると、ただただ自分の無力さに悉く空しくなりました。
そういう姿は人に見せたくもなく、絵にも自信が持てなくなり、ひとり刻々と向きあう日々が続きました。
けれどある日に、母が「たまにはおいしいご飯食べにいこう!ゆっくりお話しよう。」と、会いに来てくれました。
それまで誰にも見せられなかった、その頃の未完の練習画やスケッチブックなど、全てを見てもらいました。
すると母がその一枚一枚に、楽しそうに言葉をかけてくれて。
色をつけずに放っていた絵にも「色付けたら、絶対もっと素敵になるよ。つけてあげてよ。」と言ってくれたり。
不完全な絵も、こんなに楽しんで観てくれて。ありがたいなと思いました。
その時、描くことに苦闘して閉じこもって、大切な気持ちを忘れていた自分にはっとしました。
絵を描いて、それを人に観ていただいて、笑顔になってもらえたり心で感じてもらえた時に、描く時とはまた違う、よろこびと幸せがあるということ。
それから私は、途中でとまっていた練習画に色を添え、大きなロール紙にスケッチを再構成したり、思いつくまま進めてゆきました。
理想に近づく手段や手順を誰かに求めて聞けたなら、長く遠回りしなくてすんだかも知れません。
でも、自分で悩みたいと思いました。
「意味のないことなんかない。」
何かを繋ぎとめるようなそんな思いが、私の一筆にささやかな希望を宿し、過ごしていた春でした。
【2014年の歩みについて:はじめに】
投稿:絵師・村林由貴
久しぶりの投稿、失礼いたします。
8月もあと少しとなり、昨年行った夏の襖絵ツアーから丁度一年を迎えました。
この一年間は、いよいよ退蔵院の襖絵制作に向けて…と、試行錯誤し模索してきた日々でした。
ツアー後の制作状況や進行を気にかけてくださっていた皆様、本当にありがとうございます。
これまで過程を言葉にして来れなかったのは、自分が手探り状態にあったことや、修行や出会いや経験によって学ばせていただいたことは、安易に早急に言葉にしてはいけないと自分の中で心していることがあってのことでした。
そうしている間に、結局無言の行となり、こうしたある区切りの機会を持ってでしかなかなかお伝えできずにおります。
今日は勝手ながら、2014年の8ヶ月間の流れを4つに分けて一気に投稿させていただきます。
またお時間のある際に、ぽつぽつとご一読いただけましたら幸いです。
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