2019年/制作ノート
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【決心】
2019年3月18日。
「むらば、まず一部屋目、描き始めよう。」
ギクリ。え・・?
私は目を見開いた。
退蔵院副住職・松山大耕さんと、東京行きの新幹線に乗っていた。
前回のブログでご報告した、文化庁長官表彰の式へ向かう新幹線だった。
「え、でも…まだ大下図(襖の原寸大の下図)で、完成していない箇所もあります…。」
この2年間、本堂の各部屋(※1)の大下図を描いてみては、やり直しを重ねた。
その中でも、どうしても景色が浮かばず、進まない箇所があった。
(※1:本堂の襖は5部屋にわかれ、五輪をテーマに地水火風空の各部屋の襖絵を制作する。)
「うん。でも何度も繰り返していたら、永遠のループにはまるで。
自分も変化して(求めるものも変わって)いくし、
数を重ねたから、いいものができるってわけではない。
これで大丈夫かな?って思うぐらいの方が、本番に力出せることもある。
例になるかわからないけど、俺は中学校に授業しに行っていた時に
一番難しいと感じたのは、どの授業も同じレベルを保つことだった。
同じ授業内容を1~4クラス、1日に1・2・3・4時間目まで、
1クラスずつ授業していくんだけど、いい授業だったと思う順番は大体いつも同じで、
2時間目、1時間目、3時間目、4時間目の順だったんですよ。
それは、1時間目は最初で戸惑うこともあるけど、なんとか工夫して、沢山の発見がある。
2時間目は緊張と新鮮さを保ちつつ、1時間目の経験を活かすことができる。
3時間目は慣れてくる、4時間目はどうしても体力のこともあるし、何回もやっていると逆に
混乱してくる。」
「なるほど…。わかる気がします。」
「うん。ひと部屋目の大下図は、俺もすごくいいなって思うし、
まずはこれだ!って思う大下図ができている部屋から襖に描き始めて、
ひと部屋できたらきっとむらばも自信もつくし、
まだ決まってない部屋は、またその時に悩んだらいいよ。」
「はぃ…。」
頼りない返事。
やっぱりまだ動揺して。緊張して。
頭ん中グルグル。
でもふと、“あ、これ、腹くくる時なんだ”って思った。
そしたらスーって落ち着いてきて。
「…そうですね。私も、”いい下図ができた!” って思っては置いて、次の部屋の下図を描いて、
また次描いてやり直してーって繰り返して。前描いたのから時間が経ったり、全部揃わない
ことに ”なんだかなぁ…。いつ始められるんやろ…。”って焦ることもあって。」
「うん。」
「新命さんが言ってくれはった様に、これだ!って思うところから始めて、
あとはその時々に悩みながらやっていけばいいですもんね…!
うん。私、そうします。描きます!」って応えた。
「よし!じゃぁひと部屋目やっていこう。」
*
心臓は高鳴った。緊張と興奮。
あと、心が喜んでることに気づく。
”やっと本番に向かえる。向かえるんだ!!”
ポンっと一歩先へ。
副住職とお話したことで、心が決まった。
背中を押していただいた。
ひとりでは絶対、今日こんな風には思えなかった。
覚悟を決めてこそ、次の景色が見えてくる。
この緊張と喜びと、今日のことを忘れないでいようと思った。
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【初の対面】
2019年6月26日。
真夏の様な炎天下。
ひと部屋目の襖、12面が運び込まれた。
表具師の物部さんは汗を拭い、真剣な面持ちで書院に並べてゆく。
そして丁寧に梱包された中から、まっさらな襖が顔を出した。
12面。
壁に立てかけてみる。
大きな広いひろい画面。
襖の引手や縁は描いてから取り付けるため、ただ真っ白な四角い襖が壁に並んだ。
職人さん達の手によって、凛と仕立てられた襖。
襖の厚さは2cm位だろうか、表裏の和紙にも襖の内にも、幾重もの働きが息づいている。
まっさらな襖に近づいたり、角度を変えて眺めれば、
和紙はきらきらと輝いて見えた。
”ここに描くんだ。やっと。やっと、スタート地点。”
職人さんたちの姿がぶぁっと浮かんで、次は私が走る番だと感じた。
“楽しみっ”。
まっさらな襖を前に、シンプルに心が湧いた。
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【不思議な感覚】
7月から、退蔵院方丈のひと部屋目の襖絵に着手する。
描き始めて1週間。
私は下絵を写し、淡く墨入れを始めていた。
自分でも不思議なぐらい、わりと冷静に描いていた。
黙々淡々。そんな言葉が落ち着くくらい。
想像どうりに進んでいる訳ではない。
紙と墨と表現との調子がまだ掴めず、思う様なぼかしの表現にはならない。
まだ描き始めやし、最初からうまくできると思ったら傲慢やがな、と思う。
いや、でもそれ以上に、もっと根本的に、
『そもそも、自分がやろうと思っていた手法と、この紙だからこそ
活かせる・より生きてくる手法は、きっと違うんやろなぁ…。』 と感じ始めていた。
紙と墨と心の反応を受け取りながら、静かに見つめる。
それにしても、不思議。
どうにかなるかって、落ち着いていられるんはなんなんだろう。
自分の落ち着き具合がナゾにも思った。
*
振り向くと、5,6年前に描いた壽聖院(通常非公開)の襖絵。
あぁ。ここで描いていることが、きっと大きな理由で重要なことなんやなぁ。
この襖絵たちを見ていると思い出す。
試行錯誤いっぱいに、なんとか形にしてきたのを。
だから最初は、今はまだ新しい舞台に慣れなくても、
それはそのままに、何とか向き合って
方法を見い出しながら、進めたらええんちゃうかなぁって届いた。
うむ。
決めきれずにいたことの、今の自分の答えが見えてきた。
『想像していた手法・ぼかしで描くイメージは、一旦捨てたっ!
この紙だからこそ活きる・生きてくる表現に挑もう。』
想像通りに進むのはきっととても素晴らしいこと。
鍛錬と想像が合い重なって結実するみたいに。
でも想定外はまたそれで、別の景色へ行けるきっかけでもあるだろ?
自分の想像を越えてゆけ。
さぁ、どっしりと行きましょうか。
不思議な感覚はありのままに、一緒に歩んでいくことにした。
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【よろこび】
2019年8月。
月日が重なるにつれて、襖に浮かぶ景色は広がっていった。
その間、筆触も4種の墨の濃淡も増え、紙と共鳴していく。
私がこの襖絵を描いていて、本当に嬉しく感じること。
それは、五十嵐製紙さんのこの和紙だからこそ、
墨運堂さんのこの墨だからこそ、響きあう彩りがあるということ。
こんなにも風合いが違うのかと、改めて発見し、感服した。
もし、絵を描くことで眼に見えて活きてくるとするならば、すごく嬉しいし
表現自体も、その素材や道具の力によって滲み出てくるものが違うと実感した。
プロジェクトの始まりから次第に、肌に馴染んできた中里さんの筆の心地。
「年を重ねると、自分が求める筆も変化していく」という中里さんのお言葉通り、
すり減ってきた愛用の筆に加えて、出番の多くなった子も。
プロジェクト開始から9年目。
ひとつひとつの力が、舞台の上で呼応し始める。
しっかりと受け取って、表現にたくしてゆきたい。
*
いつも支え見守ってくださっている関係者や多くの方に
心より感謝申し上げます。
引き続きプロジェクト共々、どうぞよろしくお願いいたします。
絵師 村林由貴
~素材や道具について~
今回使用させていただいております、墨・紙・筆を選びに言った時のことは、
こちらに記録いただいています。
http://painting.taizoin.com/category/news/info/page/4/